ショックな出来事などによって心に負った傷を、「トラウマ」と言いますが、
あなたは、トラウマが未来を決めると思いますか? それとも、トラウマが未来を決めることはないと思いますか?
・・・
私は、そもそもトラウマが未来を決める/トラウマが決めるものではない、の議論については、
正直なところ、“どうでもいいこと”だと思っています。トラウマが存在する/存在しない、その議論も同じ答えです。
『どう捉えるか?』…、
それだけの話しなのかな…と私は考えています。
なぜなら、私は、どちらとも捉えられる経験をしているからです。
(似たような経験をされている方もお見えになるとは思いますが…)
小学4年生のある夜、寝ているときに急に気分が悪くなって、布団の上で「オエッー」と吐いてしまいました。その晩は、全身が疲れるほど3回吐きました。その夜をキッカケに、13年間の恐怖症生活が始まります。吐くことへの恐れが生まれ、給食を残すようになり、小学6年のときに、身体にまで異変が起きてしまうところまで悪化しました。嘔吐恐怖症、外食恐怖症です。13年苦しみましたが、何とか克服できました。
小学4年の夜の出来事を『トラウマ』だと仮定するとしたら、恐怖症で苦しんだ13年間は『トラウマは存在して、トラウマは未来を決める!』と私は考えたでしょう。私の小学4年の時点を“現在”としたとき、それから先は“未来”ということになりますから。トラウマによって、恐怖症で苦しむ未来が決まってしまったと考えたと思います。
では、今現在の私。
「トラウマによって、未来を決定づけられるものですか?」 と聞かれたら、Yes とも Noとも答えられません。逆に言えば、「Yes」でもあり「No」でもあります。
嘔吐恐怖症で苦しんでいたときの私であれば「Yes。トラウマは存在して、未来を決定づけるものですよ。小学4年のあのときのトラウマが今の私をつくっています」って答えたでしょう。
恐怖症を克服した今の私は「No。トラウマはあるかもしれませんが、トラウマが必ずしも未来を決定づけるものではありません」と答えます。
ですので、
トラウマが未来を決めるのか? トラウマは未来を決めるものではないのか?
それは、、、どちらでもなく、
『捉え方』の問題
だと考えます。
トラウマの影響をいつまでも信じ続けてしまうと、いつまでもそのトラウマに支配されて、なかなか未来を変えることができなくなるでしょう。
ですから、
「トラウマは存在するもの」とか、「トラウマが未来を決める」とか、そう捉えずに、「乗り越えられるもの」として捉えてほしいですね。