嘔吐恐怖症を克服し、「輝き」を取り戻した体験記

Experiences overcoming emetophobia

 

『 もうイヤ! 死んだ方が楽! もう終わりにしよう! 』

今から40年以上前とはいえ、小学6年生のとき、恐怖症に陥ってしまった私が、真剣にそう考えた14時間がありました。これ以上、耐えられませんでした。40人ものクラスメイトの前で、毎日、みじめな思いをさせられ、恥をかき続けるくらいなら…。さらに「嘔吐恐怖症」という言葉すらない時代、それを治す方法すらまったくわからない…。このまま人前で恥をかき続け、苦しみ続けるなら、選択は1つしかない…。そこまで追い詰められた1日がありました。

小学4年のとき、ある夜の出来事がキッカケで、社会人1年目までの13年間、恐怖症に怯え続ける毎日を過ごしました。人生の4分の1にも及ぶ「嘔吐恐怖症」との闘い。私が得たものとは何だったのか?

これからあなたに、私が経験してしまった「嘔吐恐怖症」、その体験を赤裸々にお伝えします。

でも、これは、あなたに同情してもらいたくて書いているのではありません。私に降りかかった悲劇を伝えたいわけでもありません。13年もの間、孤独で、悩み/苦しみ続けた「嘔吐恐怖症」・・・、私は克服して自分らしい「輝き」を取り戻すができたからです。

この話がハッピーエンドで終わるのです。

一生ものの財産になった、ある方法に出会えたことによって、当時、私にとっては“不可能”としか考えられなかった、“ごく普通の生活” を手にすることができたんです。

私にとっての “ごく普通の生活” とは…、

外食に出かけられる。人との会食を楽しむ。女性とお付き合いできる。旅行に出かけられる。行動範囲が広がる。たった、それだけです。

ごく当たり前のようですが、「嘔吐恐怖症」によって、食事が絡むような約束ごとや行動がまったくできない状態でした。身体が拒絶反応を起こしました。何をするにも萎縮するばかりの日々でした。

では、どのようにして、私が、13年もの間、誰にも相談することもできず、苦しみ、悩み続けた嘔吐恐怖症から解放され、待ち望んだ “ごく普通の生活” を手に入れることができたのか? あれから30年以上経った今の私はどうなのか? 再発は? そんな話もお伝えします。

その体験談をお話しする前に・・・。

恐怖症と聞いて、

「それは、気の持ち方だけだよ。“病は気から”というでしょ。気にしない!気にしない!」と、おそらく周りはそうアドバイスするでしょう。“病は気から”と。確かにその通りなんですが、ポジティブ・シンキングのように「大丈夫! できる! 気にしない!」だけではどうすることもできません。

「恐怖」という“気”は、最初は小さくても、少しずつ、徐々に、確実に身体を蝕んでいきます。過去の私のように。

実を言うと、私は、自身の嘔吐恐怖症の経験については、克服してから20年以上経った40歳半ばまで、他人にその話しをすることができませんでした。当時の状況を思い出しても、当時のような身体が負の反応することは今ではまったくありません。しかし、、、

その13年間は劣等感だらけ。みじめな自分、情けない自分、恥ずかしい自分、気が小さい自分、弱い自分、騙し騙しの自分・・・。そんな自分を知られたくなかったからです。

たとえ、その体験を話したとしても、せめて「へぇー、そんなことがあったの」と軽く言われるくらいでしょう。そんなものです。実際に苦しんだ人でないとわからないものですから。

恐怖症を克服して20年以上経ったある日、たまたまTV番組で取り上げられていた “うつ病” について、カミさんと話をしていました。その時、カミさんに「実は、僕、以前・・・」と、「嘔吐恐怖症」で苦しんでいた話を初めてしました。その反応は「へぇ、そんなことあったなんて」と少しは驚きながらも、たったそれだけの反応でした。でも、その日をキッカケに、何か吹っ切れたのか、その当時の苦しみ、みじめな思いをしていた自分について、包み隠さず、人に話ができるようになりました。

その話を聞いた人は、みな、

「へえー、そんなことがあったんだ! 全然そんな風には見えない!」と口を揃えて言います。反応は、仕方がないことですがそんな程度です。

でも、あなたにはわかりますよね。

どんな表現を使って人に説明しても、私が経験した恐怖心、みじめさ、苦しみ、不自由な生活、身体の負の反応を正確に伝わることはありません。なんでもそうですが、経験した人でないと分かりませんから。

現在は、インターネットの発達で、多くの情報が目に入るようになりました。ある日、ふと「嘔吐恐怖症」で検索したことがあります。そこで驚いたのは、

「当時の私と同じ嘔吐恐怖症で、悩み、苦しんでいる方が多くいらっしゃるという現実」

私以外に、そのような症状で苦しんでおられる方はほとんどいないものと、当時含め、勝手にそう考えていました。

今回、私の経験談をあなたに公開することで、「こんな解決方法もあるんだ!やってみよう!」という希望や励ましを与えられたとしたら、そんな嬉しいことはありません。

では、これから、赤裸々に私が体験した概要をお伝えします。

(体験記の中で、食べ物を粗末に扱う記述がありますが、事実をお伝えするため、そこは、ご理解ください。)

【「嘔吐恐怖症」、13年におよぶ体験記】

『嘔吐恐怖症への入り口』

恐怖症への入り口

1975年5月(小学4年)

今日は、なぜか不思議なくらいお腹が空く日。夜7時に夕飯を食べたが、9時ごろ、またお腹が空く。何か食べたい。母にお願いして、当時、珍しかった冷凍の、たぬきうどんを食べる。満腹感、満足感を覚え、10時くらいに布団に。

11時くらいに体調が急変。突然、気分が悪くなり、動くこともできず、布団の上で吐く。その時の苦しさは今でも鮮明に記憶している。母にその旨を告げ、片づけてもらい、再び眠りに。身体は容赦なし。2:00くらいと4:00くらいに再発。母が枕元に用意してくれた洗面器の中で、事を済ませる。長く、大変な夜を過ごす。

朝を迎え、学校に行く準備。気分は優れなかったが、学校を休むまでのことではない。いつも食べる朝食は摂らず、学校へ行く。この日をキッカケに朝食を食べなくなる。

給食時間。気分がそんなに良くない。おかずを少なめにしてもらい、食パンは一口も食べずに残す。

その夜以来、嘔吐に恐怖を感じはじめる。給食では、満腹にならないよう食べる量を控えるように。小学4年の担任は、人によって食べる量は違うからムリに食べる必要はないとの考え方。嘔吐への恐怖心を感じながら、おかずの量を減らし、食パンを残す毎日。それ以外は、自分らしい学校生活を送る。

給食もその日によって、食べられる量だけ食べる。パンは一口も食べず、毎日お持ち帰り。牛乳もその日の気分で飲んだり、飲まなかったり。あの夜の悪夢のような出来事を思い出すだけで、とくに人前で食べるとき、嘔吐への恐怖を感じる日々が続く。

『恐怖心が襲う!ある驚きの光景!』

学校の廊下での衝撃

1975年5月~1976年3月(小学5年)

同じ階の6年生のクラスでは、給食時間が過ぎても全部食べ切れない女の子がいる。毎日、昼休みになると、教室から廊下に出され、その子の担任Tから、ムリやりパンを口の中にねじ込まれる光景が目に入る。ねじ込まれているときに「オエッ」と吐きそうになっている姿。自分だったらムリ、絶対に耐えられない。嘔吐への恐怖がさらに大きく膨らむ。

このTが、もし自分の担任になったらどうしようと恐怖を抱くように。それ以来、進級時の担任発表が怖くなる もしTが担任になったらどうしよう!それが心の負担に。(幸い、その悪夢は起きず!)

『こんなことでもドキドキ!』

小学5年の担任も給食を残しても気にしない先生。このときの私も、牛乳は飲まない、食パンは2枚とも残す日々が当たり前。そんなある日、担任が給食時間の終わり間際に、何気ない一言。

「今日は誰も休んでいないはずけど、どうして牛乳、一本残っているの?」

すかさず、おしゃべりな(?) クラスメイトが、

「鈴木君のです。鈴木君は、いつも牛乳飲みません。パンも残しています」

「いつから」

「4年生の途中くらいからです。」・・・(余計なこと言うな!)

「鈴木、そうなんか?」

「はい。そうです・・・。」

(クラスメイトの注目を一身に浴びて、心臓がドキドキ。身体はソワソワ)

先生は、それ以上のことは口にせず。ホッとする自分。でも、クラスメイトは観察しているんだと怖く感じる。オレのことなんて気にするな! 放っておいてくれ! と思ってもムダ。

恐怖が増す

【 こんな 「禁断の症状」 が身体に染みついた小学6年での11ヵ月】

『地獄の1年! 逃げたいけど逃げられない・・・、死んだ方が楽』

1977年4月~1978年3月(小学6年)

小学6年になった4月の始業式。担任の発表。女の先生。自分勝手に「よし!これで小学校生活は何とか乗り切れた!」と心の中で歓喜。

しかし、、、

恐怖症が悪化する出来事

これが私にとっての地獄の始まりになるとは。この時点で知るよしもない。4月は、小学4年の途中から続いている今まで通りの給食時間。おかずは少なめ、牛乳、食パン2枚を残す日々。

想定外!

5月に入った最初の給食時間。担任の視線が、なぜか私の方に向いている。

「(なんだろう。僕の方ばかり見ているけど・・・)」

その日も食パンを残そうと、給食袋にパンを入れる。そのときだった!

「鈴木君、パンも牛乳も残さず食べなさい!」と大きな声が教室に響き渡る。教室内が一瞬でシーンと静まり返り、クラスメイトの視線が一斉に僕に向く。

「(どうして急に? ヤバいぞ! どうする!!)」。心の中は大パニック!

突然、大きな恐怖が現れ、心臓の鼓動がドキドキする。呼吸が小刻みながら荒くなる。頭から血が引く。頭の中が真っ白。口の中はカラカラになる。額から汗が出てくる。何をどうしていいのか! 気が気でなくなる。

この日から、長~く、苦しい給食時間(+昼休み+掃除時間)が始まるとは・・・。

給食時間

◆12:20 給食時間スタート。

身体の緊張がピーク。ソワソワと落ち着かない。今日は乗り切れるか? おかずは配膳当番にこっそりお願いして、少なく盛ってもらう。

最初はおかずから消す。とにかく目の前にある食べ物を少しでも早く消し去りたい。緊張で、喉がカラカラになっているので、水分が少ないおかずは喉を通すのに苦労。

牛乳は一気飲み。飲むのを途中で止めると、その間が怖い。勢いに任せて一気に喉に流し込む。

ここまでくると、これ以上、胃の中に食べ物を入れたくない気分になる。たくさん胃に入っていると思うだけで気持ちに焦りが生まれる。「(急に気分が悪くなったらどうしよう。吐いたらどうしよう。今日の胃の調子は大丈夫だろうか・・・)」。そんなことばかり考える。

あとは食パンだけ。これで目の前の食べ物がすべて消える。

しかし、これが難関。緊張状態が続いているので、喉はカラカラ。唾液すら出てこない。一口にもならない量のパンを手で引きちぎり、嫌がる口の中に入れる。噛んでも、それ以上先に進まない。口の中でパンを噛み続ける。「(吐いたらどうしよう)」そう考えれば考えるほど、喉に力が入り、喉は閉じよう、閉じようと反抗する。

口の中で、パンを米粒くらいに小さく噛み砕いて、何回も何回も少しずつ、少しずつ、喉に押し込む。口の中のパンですらなかなか減らないから、机の上にあるパンはまったく減っていかない。時間が刻々と進む、気持ちは焦るばかり。

担任がチラチラ、ときには明らかにジーッと僕を見続ける。クラスメイトの視線も僕に向けられている気がする。「(何とかしなきゃ)」と思えば、思うほど、喉が閉じ、手に握りしめたパンはまったく減っていかない。

気持ちがどんどん悪くなる。頭から血の気が引く。喉は硬直する。口の中はカラカラ。心臓はドキドキ。手に汗。…周りの視線が気になる。視線が怖い。孤独。さらし者。

◆13:00 給食時間終了。

僕だけ、手に握りしめているパンと机の上にあるパンが残る。

孤独の時間

◆13:00~13:30 昼休み

校庭に遊びに行くクラスメイト、教室に残って遊ぶクラスメイトがいる中で、なぜか担任は職員室に行かず、教室の前にある担任専用の机に座ったまま。その視線は僕に向けられている。他の生徒が担任に何か話しかけても、視線を変えようとしない。僕がそのスキにパンを残さないかを見張り続ける。

右手の手のひらで、パンをギュッ、ギュッと強く、小さく押しつぶす。「(たった、これだけの量を食べるだけなんだ)」と自分に言い聞かす。そう思えば思うほど、身体は真逆の反応をする。喉が硬直する、心臓はバクバク・・・。みじめ! 情けない! 恥ずかしい!

◆13:30~13:50 教室清掃の時間

クラスメイトは一斉に机を教室の後ろに移動。僕も自分の机を自分で後ろに移動。そのまま自分の机に座り続ける。僕は掃除をしない。僕は掃除ではなく、残っているパンを食べ続けなければならない。

担任は、相変わらず、教室の前の自分の机に座ったまま、私を監視。掃除をしているクラスメイトも時々僕をチラリ見る。「(しょうがないヤツ。みじめなヤツと思っているんだろうな)」と情けなく感じながら、手の中でギュウギュウに押しつぶしたパンを、もっと小さく握りつぶす。

パンを小さく、小さくすることで、「(これだけ食べるだけなんだ)」と言い聞かせる。でも身体は受け入れない。心も身体も拒絶する。

手の中で握りつぶしたパン。担任の視線、クラスメイトの一瞬のスキを見て、ズボンの右ポケットにそれとなく、素早くねじ込む。その直後、いかにも口にパンを入れたように振る舞い、何も入っていない口をモグモグさせる。パンを噛んでいる振りをする。そしてパンを飲み込む演技をする。こんな毎日・・・。

恐怖症発症

毎朝、起きるとすぐに、不安な気持ち、給食への恐怖心を抑えるために正露丸を飲む。正露丸を飲むことで、「薬を飲んだから、胃は大丈夫!」と自分に言い聞かせる。

1時間目の授業が終わり、2時間目の授業が終わり、給食時間がだんだんと迫ってくる。それだけで、怖い! 不安が心を襲ってくる。授業などまったく耳に入らない。

身体が次第に「禁断症状」を示すようになる。私が経験した「禁断症状」とは、、、

頭から血の気が引く。ドッキンドッキンと聞こえるほど激しく心臓が鼓動する。喉が硬直する。口の中はカラカラになる。呼吸は小刻みに早く荒くなる。手や足の先がピリピリとシビれる。胸がムカムカする。胃がキリキリ痛む。気分が悪くなる。そんな状態が同時に起こってくる。

なんとか給食を逃れる方法、理由はないか!!!!

ある日、クラスメイトが体調不良で保健室に。「(そうか!その手がある)」。保健室に行くことで給食を逃れることができそう。それ以来、午前中の保険室利用が次第に増える。給食を食べなくてもいい正当な(?)理由を探す毎日。保健室のベッドで横になりながら、じーっと給食時間が過ぎるのを待つ。

しかし、給食時間がはじまると、クラスメイトがわざわざ保健室までやって来る。

「今日、給食どうする? って先生から言われてきたけど・・・」

「(放っておいてくれ)」と思いながらも、調子悪そうに、

「ありがとう。ごめん。体調がよくないので給食はいらない」

そして給食時間が終わるまで保健室で過ごす。

給食時間が終わると「今日は何とか乗り切れた」と少し元気に。掃除が終わって、5時間目の授業から教室に戻る。まだ気分が悪いように見せかけながら。

「(今日、保健室使っちゃったから、明日は同じ手は使えないな。明日はどうする?)」と不安が襲ってくる。明日はどうしようか?・・・、そんなことばかり考える日々。

3日に1回くらいのペースで保健室に通う。保健室の常連。保健室を使うと保健専門の先生が見えることもあり、担任から「給食、食べなさい!」などの言葉は来ない。私にとって、保健室は最高の逃げ場。ただ毎日は使えない手段…。

保健室に逃げられない日は、担任の監視下で給食を、掃除の時間が終わるまで食べ続ける。食べるというより、担任やクラスメイトのスキを見て、手で握りつぶしたパンを、バレないようにポケットに入れる。そしてあたかもパンを口に入れ、モグモグと食べているフリをする。身体は拒絶反応を示し続ける。「(吐いたらどうしよう)」と、恐怖と闘う日々。

土曜日は給食がないため、体調は良い。土曜日というより、金曜日の午後からは、しばらくは、不安から逃れられる安心感が生まれる。土曜日は安心して学校へ行く。自分らしく元気な1日。そして日曜日も自分らしく過ごす。

日曜日の午後は、少年野球団の活動。夕方、家に戻る。夕飯後の18:30から放映されるTV番組「タイガーマスク」の暗いエンディングテーマが流れると急に憂うつな気分になる。「(明日は月曜・・・。また長く、苦しい給食が待ち構えている・・・)」 考えたくなくても、考えてしまう。そうなると、不安と恐怖で、胸が張り裂けそうに。身体は敏感に反応し、吐きそうな気分になる。

不安で心臓ドキドキ

次第に、日曜の夜になると、身体が「禁断症状」を示すようになる。月曜日からの給食時間を考えるだけで、頭から血の気がサーッと引く、ドッキンドッキンと聞こえるほどの激しい心臓の鼓動、喉の硬直、口の中はカラカラ、呼吸は小刻みに早く荒く、ピリピリとした手足先のシビれ、胸がムカムカ、キリキリと痛む胃、全身が緊張に覆われる。

給食のことを、考えないようにすればするほど、まったく逆効果。

6月くらいから、日曜午後の野球少年団の活動にも影響が出る。「明日は月曜日だ。給食との闘いが、また・・・」という不安、恐怖が身体を萎縮させる。野球どころではない。明日からの給食時間のことばかりを考えてしまう。

マウンドに立って、キャッチーに向かってボールを投げるものの、腕が縮み、キャッチャーまでボールが届かない。ワンバウンドになってしまう。ワンバウンドにならないように意識すると、キャッチャーが立つほどボールが高く浮く。ぜんぜんコントロールできなくなる。心がどんどん萎縮していく。こんなところにまで影響が出るとは!

次の大会の初戦、先発を言い渡される。試合が近づく。もう限界! 無理! 試合で投げられない。身体が萎縮して、投げられない。期待になど応えられない。恥をかくだけ。試合当日、無断で野球少年団を休む。両親には「今日、少年団、休みなんだ」とウソ。

「野球、辞める」と両親に告げる。そのまま野球少年団を退団。家では、“この根性なし”という空気が漂う。本当は続けたい!でも、身体が思い通りに動かない。心も身体も萎縮するばかり…。

ある時、担任から「そういえば、野球少年団、辞めたらしいね」の一言。「(オマエのせいだ!)」と憤り。悔しい! でも、何も言えない。ここで逆らったら、さらにヒドい仕打ちを受けるかもしれない。情けない、完全に屈服させられた。

みじめな日々が続く。そんなある日、、、

「(死んだら、もう苦しまなくてもいい)」。朝起きて真剣に考える。

寝るまでの14時間、深刻に、真剣に自分に問いかける。「楽になろう。でも。・・・」。

なぜ、踏みとどまったか? 今でも記憶にない。死ぬことはもっと怖かったんだろうと思う・・・。

保健室など、これ以上、打つ手がなくなり、母に給食が食べられない話を。嘔吐恐怖症の話しには一切触れず、給食が全部食べられない話しをする。(嘔吐恐怖症なんて誰も解ってもらえないだろうし、「そんなこと気にしてどうするの!」と言われるのがオチ)

母から担任に話しを・・。

学校から帰ってくると、母から「先生は、“判りました。もう何も言いません”と言っていたよ」と僕に。「(ホントだろうか?)」 あの担任の言葉など信じられない。

次の日、監視されてはいたが、母の言葉を信じてパンを残す。担任は何も言わず。「よし!これで助かった!」、気持ちがスカッーとする! 晴れた気分で、爽快。元気がでる。心に光が戻る! これで小学6年は乗り切れた!・・・と。

でも、その日だけ!

その翌日の給食時間、パンを包もうとした瞬間、担任からの大きな声が教室に響き渡る。

「鈴木君、いつまで甘えているの!! 残さず食べなさい!! 私はあなたのためを思って言っているのよ!」。5月のときと同じ。給食の和やかなムードが一変。クラスメイトの視線が僕に集まる。ピーンと張りつめた空気に変わる。

また地獄へ逆戻り。

家に帰り、母に説明したが、「先生には、ちゃんと話したんだけど・・・」。それだけ・・・。

苦難の毎日。秋が終わり、冬が終わり、小学6年の1年間が終わる。時間は乗り切ったが、心と身体は乗り切れなかった。毎日続いた恐怖、毎日襲い続けた不安が、身体に「禁断症状」を刷り込むには十分すぎる11ヵ月。

「嘔吐恐怖症」という「深すぎる暗闇」が、僕の心と全身を、完全に覆い尽す。

頭から血の気がサーッと引く、ドッキンドッキンと聞こえるほどの激しい心臓の鼓動、喉の硬直、口の中はカラカラ、呼吸は小刻みに早く荒く、ピリピリとした手足先のシビれ、胸がムカムカ、キリキリと痛む胃、全身の緊張・・・。身体は覚え続ける。

TV番組や日常会話の中から「はく」とか「もどす」のような関連ワードが少しでも耳に入るようなら、また、外で飲食店からの料理の匂いだけでも、身体は敏感に「禁断症状」を示す。

「これからどうしよう?」

「治す方法はある?」

『恐怖症の静寂期?』

静寂機?

1977年4月~1980年3月(中学生)

中学での3年間は、担任が教室にいないこともあり、給食時間も気楽。でも小学6生のときに、身体に刷り込まれた影響は消えない。午後の体育や午後の全校集会などの催しがあるときなど、人が多く集まる場面や運動する場面の前には、とにかく胃の中を空にする。

「(吐いたら、どうしよう)」。萎縮する生活は続く。

友人の誘いはもちろん、親から外食を誘われても「勉強が忙しい」「家の料理の方がいい」と、避ける理由を言い、外食から逃れる。

人と出かける時は、適当な理由を付けて、午前中なら9:00~11:30、午後なら13:30~17:00の間にだけ約束する。昼食時間、夕食時間にかかる約束は一切しない! 食事を誘われるだけでも怖いから。騙し騙しの生活。

相変わらず、TV番組や日常会話の中から「はく」とか「もどす」のような関連ワードが少しでも耳に入るようなら、また、外で飲食店からの料理の匂いだけでも、身体は敏感に「禁断症状」を示し続ける。

『一体、いつまで?』

1983年8月(高校3年)

高校での昼食は弁当。気分は楽。とはいうものの、嘔吐への恐怖心は変わらない。午後の体育や午後の集会の場合は相変わらず、弁当は食べず、胃の中を空にする。日曜は近所の図書館へ受験勉強に出かけるが。もちろん、昼食はわざわざ家に帰り、家で軽く食べ、午後図書館へ向かう。図書館ではトイレに近い部屋の席に。

相変わらず、人と出かける時は、適当な理由を付けて、午前中だけか、午後から夕方までにする。昼食時間、夕食時間にかかる約束は一切しない! 騙し騙しの生活が続く。

そんなある日曜日、図書館に来ていた中学時代からの親友に昼食に誘われる。「たまには昼、一緒に食べようか?」 悪夢の小学6年のときから年月が経っていることもあり、「(時間も経っているから、もう大丈夫だろう)」

「行こうか」と返す。お腹も空いていた。

図書館から自転車で5分ほどの中華料理屋へ。万が一に備え、座る席は、トイレに一番近い席。「ここでいい?」。それとなく友人をその席に誘う。店内に広がる料理の匂いも、その日は気にならない。「(大丈夫!)」

「中華飯、お願いします」

気分はOK!中華飯が配膳されるまでの時間、心の中で「(大丈夫、今日はいける! あれから、だいぶ時間が経っているから)」と。友人と会話が始まる。

やはりダメだった

甘くなかった!

突然、「禁断症状」が現れる!

時間が経っても、忘れてくれない身体!

手足先がピリピリ、頭から血の気が引く、心臓の鼓動はドキドキからバクバクに、喉は硬直、口の中はカラカラ、呼吸は細かく、荒くなる、気分が悪くなる・・・。まただ!・・・。

誘いに乗った自分を責める。「(適当な理由つけて断ればよかった…)」。友人の話が全く耳に入らない。理由を付けて、この場から立ち去る方法はないのか! 頭の中はパニック。「(どうしよう!)」。

「はい、お待たせしました」。中華飯が目の前に現れる。

体は完全に拒否。

平静を装い、ピリピリとシビれる右手でレンゲを持ち、一口の量にもならない中華飯をレンゲに乗せる。レンゲを口へ運ぶ。嫌がる口を小さく開ける。レンゲの先に盛られた少量の中華飯を口の中へ押し込む。口をモグモグさせる。喉は抵抗する。何回噛むんだというくらい噛む。何とか、少しずつ、少しずつ、喉に通らせ、3分ほどかかって、やっと最初の一口が口の中から消える。

もう限界!

さらに、手先がピリピリとシビれ、喉が硬直する。額から冷や汗。身体は緊張で硬直。とっさに口から出た言葉「ごめん。もうお腹がいっぱい。もう十分」。

「ほとんど一口も食べてないのに、もうお腹いっぱい? すっごい小食!」と友人。「ごめん。もうお腹いっぱい」。言葉を絞り出すのが精いっぱい。一刻も早くこの店から逃げ出したい! しかし友人が食べ終わるまでの20分ほど店から出られない。水だけ、ちょっぴり、ちょっぴり口に含む。それが限界。

ほとんど一口も食べてない中華飯を店員さんが片づける。「本当にもういいんですか?」「すみませんが、お願いします」。申し訳ない気持ち、情けない気持ちでいっぱい。

「(もう外食には絶対に行かない、人と外食できない身体なんだ!)」と、うろたえ、落ち込みながらも、心にしっかりそう刻み込む。

騙し騙しの生活が続く。人と出かけるときは、適当な理由を付けて、午前中だけか、午後から夕方5時までに。時間が延びて、昼食時間、夕食時間にかからないように、「用事があるので、どうしてもこの時間には家に帰らないと」と、細心の注意を払う。

電車で出かけなければならないときは、2,3時間前に必ず正露丸を飲む。出かけ直前にはお腹を空の状態に。電車内では、必ずトイレがある車両を探し、その近くに陣取る。トイレがない電車では、止まった駅ですぐにでも降りられるようドアの横を陣取る。カバンの中には不透明のビニール袋を必ず携帯。本屋やデパートに入るときはトイレの位置を必ず確認してから買い物開始・・・。

『怖い! 逃げたい! 逃げる!』

1984年1月~1988年9月(高校3年~大学4年)

大学入試:1月の共通一次試験は弁当を持たず受験。どうせ食べられないし、弁当を持っていくだけ、試験とは別のプレッシャーを感じるから。試験前の2日間から、自分の家でも何も食べられない状態に。とにかく、胃の中を空にして、試験に集中することだけを考える。

2月の私立受験は東京で受験。ホテルが満室で予約が取れず、やむを得ず目黒区にある親戚の家にお願いする。「新幹線の中で弁当を食べるから」と、夕飯が終わる20時くらいに到着。試験当日「昼は外食するので・・・」とウソ。しかしながら、叔母は、出かけ前に、親切に弁当を私に渡す。

ありがたい。でも余計なプレッシャーがかかる。申し訳ないが、試験に集中できないので、駅のゴミ箱に弁当を捨てる。もちろん、昼は何も食べず、胃の中を空のままに。

大学生活に入り、入学して約1ヵ月。仲間と約束をするとき、適当な理由を付けて、午前中だけ、午後から夕方までの時間だけ約束する日々。騙し騙しの生活が続く。

恐怖症から逃げる

5月のある日、高校時代の同級生と新宿で午後から会う約束。17:00くらいになり、そろそろ帰る時間。そんなとき、先手を打たれ、「夕飯、付き合え」と誘われる。その日は、恐怖をそんなに感じず。「(今日こそはいけるのではないか。今日が転機になるかもしれない!)」と、その誘いに乗ってしまう。

新宿の、あるレストランに入り、席に座る。メニュー表を見て、注文しようとしたそのとき、あの禁断症状が! 緊急事態! 緊急事態! やはり断るべきだった! でも、もう遅い? 焦るばかり。

友人に「ごめん、急に気分が悪くなったので出る」と注文を断り、自分からそそくさと店を出る。友人が怒る!「だったら何で店に入るんだ! なんだオマエ! もうオマエなんかとは付き合えん!」。怒りながら、僕の前から速足で去っていく。「(本当にゴメン。僕、恐怖症なんだ)」。去って行く友人の後ろ姿に向かい、心の中で謝る。それ以来、その友人とは音信不通。以降、連絡先も判らない。親友を失う。

同7月。夏休みに帰省したとき、高校1年のクラスメイトだったS君がガンで他界した話が入る。大きなショック。彼は大学に合格したものの、高校を卒業してから、そのまま闘病生活をしていたとの話し。彼は実力テストなどのテストになると、下痢などの体調不良が起きてしまうほど繊細な心の持ち主。その気持ちが痛いほど解る。大きな不安や緊張が続くとこのような結果になるという恐怖が僕を覆う。明日は我が身・・・。

大学時代、飲み会以外は自炊やほかほか弁当を買って乗り切る。友人がアパートに遊びに来ても、料理を作るのが好きだからと言って自分が作った食事を出して済ます。騙し騙しの生活・・・。

友人と出掛けるときは、事前に昼食時間帯や夕食時間帯は用があるからと理由をつけて避ける日々。もちろん用事などない。アパートに帰り一人でご飯を食べる。

アパートは、大学まで2駅という近い場所。首都圏の電車にはトイレ付き車両がない。いざというとき、長い時間、電車に乗ることは、自分の気持ちに悪影響が出る。電車に乗るとき、いつでもすぐに電車から降りられるように、ドア付近に立つ。バイトは賄い食がないバイトを選ぶ。17:00~22:00の時間帯。あるいは深夜0:00から朝6:00までのバイト。変なところにまで気を配らなければならない・・・。

何とかしないと、このまま恐怖症を放っておいては、本当にヤバイと考える気持ちが日に日に増してくるが、何をしていいか、誰を頼ればいいのか、がまったくわからない・・・。刻々と時間ばかり過ぎる。

いつ買ったか? は覚えていないが、

『自己催眠術(平井富雄氏 著) 光文社』とタイトルの本が目の前にある。中学生か高校生くらいのとき、何かのTV番組で、芸能人が催眠術師に催眠術を掛けられるシーンがあり、そのとき「催眠術」はノイローゼ(当時、心の病に使われていた言葉)のような心の病気の治療に使われているような話が耳に飛び込む。それ以来、「催眠術」というキーワードが頭の隅に残り続ける。

なぜかは分からないが「薬で心の病気が治るなら、この世の中には心の病気で苦しむ人はいないだろう」と考えている自分がいる。催眠術は、薬を使わず、自分の心の問題は、自分の心で解決する考え方。僕にとって腑に落ちる考え方。

「催眠術」で、「嘔吐恐怖症」が治るんだろうか?? でも可能性はありそう…。

恐怖症克服のヒント

平井富雄さんの著書の中に『催眠状態とは、お酒を飲んだ時のほろ酔い状態に近い』との記述が目に留まる。

確かに、そうかもしれない。

大学時代、ある1つの事実に気づく。

それは「飲み会」でのシーン。飲み会が始まるまでは恐怖感でいっぱい、いっぱい。最初の1,2年は学生寮に住んでいたこともあり、先輩方の「今から飲みに行くぞ!」のお誘いは、なかなか断れない。飲み会が幸いなのは、誰も、他人が食べる量など気にしない。大皿で料理が出されるので、食べたい人が自分で取るだけ。何も食べていなくても誰も気づかない。ただただ飲んで、楽しく、盛り上がればいいので。

飲み会が始まり、10分ほど経つと酔いが回ってくる。身体の緊張がほぐれてくる。飲み会開始当初より、気分がリラックスしている自分に気づく。まさに平井富雄さんの本に書いてあった通り! これがヒントになるんじゃないか!!と期待が膨らむ。

合コンは拒否。「行きたいけど、ちょうど用事がある」と断る。女性の前だと、なぜか特別に緊張してしまう。考えすぎなんだけど…、いつも以上に「恐怖“身”」が生まれる。仮に合コンで仲良くなっても、どうせお付き合いなどできないし。一緒に、楽しく食事できないから。情けない自分をさらけ出すから。騙し騙しの約束をしても、いつか嫌われるだけだから。本当は行きたい!けど…。

前述した平井富雄さんの『自己催眠術』の本を読む。やることは分かるが、それが本当に実践できているのか? 催眠状態って、どんな感じ? イメージがつかめない。よく判らない。

平井富雄さんが東大医学部講師として紹介されていたから、大学3年のとき、東大病院へ足を運んでみる。話ができないだろうか? その日は会えなくても、診察などしてもらえる機会をつくれないだろうか? でも門の前で足がすくむ。

・嘔吐恐怖症で悩んでいるのは、自分だけだろう

・こんな悩みは特殊すぎて、どうせ治らないだろう

心の中で、こんな会話が交わされ、病院に入る勇気が出ない。病院の門の前でそのままUターン。「(臆病者!何とかしたいんだろ!)」。でも帰りを急ぐありさま。

大学4年。とうとう社会人まであと1年。騙し騙しの生活ができるのも、あと1年。就職活動開始。会社員は性格的に向いていない。さらに会社員は付き合いが頻繁にありそう。付き合いや出張で、外食する機会がグーンと増えるはず。嘔吐恐怖症の私にとって、会社員になることは恐怖でしかない。今までのように騙し騙しの生活など続けられるはずがない。でも会社員になる以外の方法が見つからない。

就職活動は、地元、かつ実家から通える会社を最優先に選ぶ。その会社には申し訳ないが、当時の私にとって、その会社の業務内容など一切関係ない。家から通える会社なら、どこでもOK。家から弁当を持っていけるから会社の食堂で昼ご飯を食べなくてもいいだろう。地方の会社なら車通勤なので、付き合いも少ないはず。たったそれだけの理由で、実家から車で10分もかからない地元の会社を受ける。10月、採用が決まる。(志望動機が不純なのは承知の上。今頃ですが、すみません…)

 

『迫りくる恐怖! 今までにない恐怖/不安との闘い』

迫りくる恐怖との闘い

1988年9月~1988年3月

会社員へのカウントダウン。あと6ヵ月で何とかしないと・・・。まだ半年あるじゃないか。でも、何をどうする? このまま何もできないのか!

10月くらいから、社会人生活を想像するだけで、今までにない大きな不安や恐怖が心を襲う。昼食、付き合いでの夕食、飲み会、・・・。想像する度に、心臓はバクバク、胃がキリキリ、喉が硬直するなどの禁断症状が身体に起きる。小学6年の給食のときとまったく同じ症状だが頻度が増す。どうしよう! 怖い! 何とかしたい! でも何ができるんだ。

週に2、3回ほど大きな不安、恐怖が襲ってくる。身体が緊張、硬直。夜、不安で眠れない。寝汗もひどくなる。気持ちがそわそわ落ち着かない日々。不安でつぶされそうな日々。胃が痛む日々。体調が優れない日々。胃かいようやガンになっているんじゃないかと不安で心配な日々。

会社勤めという大きな壁が迫ってくる。もう逃げられない! 時間がない!内定を断ろうか。恐怖、不安、自分への情けなさで、身体も心も折れそう。

『もう時間がない! 切羽詰まる!』

切羽詰まる

1988年2月~1988年3月

大学卒業まで2ヶ月に迫った2月。

ワラをもつかむ思い! まな板のコイ! 解決策を教えてくれるところはないか!こんな土壇場になって何だ! と、行動してこなかった自分への怒りと情けなさ。気持ちは焦るばかり。

・タウンページ。「自己催眠」を教えてくれそうな心理カウンセリングを探す

・JR西荻窪駅近くにあるカウンセリングセンターの案内に目が留まる

・電話する

・予約する

ワラをもつかみたい! その想いだけ。

ダメならあきらめる! 会社員をやめる手もある。どうせ未来は閉ざされているんだから。どうせ希望など見えないから。開き直ろうとするが、大きな不安と緊張が襲い続ける毎日。

1988年2月7日、西荻窪にあるカウンセリングセンターへ向かう。不安と緊張だらけ。でも時間がない! ここまで放置した自分の問題。どこかで「自己催眠術」に託す、それを期待する自分もいる。ドアを開ける。人の良さそうな先生がお出迎え。まずは、ホッと落ち着く自分。

“まな板のコイ”、“切羽詰まる”とはこのことだと感じながら、「嘔吐恐怖症」で苦しんだ今までの経緯を先生に伝える。「自己催眠術」について本を読んだことも伝える。先生から「自己催眠」を教えていただけることに。効果あるんだろうか? でも、平井富雄さんが著書として出版しているくらいの方法なんだから…。

2月から3月の日曜、週1回、計8回、住んでいた大井町から西荻窪に通う。その間、寝る前に習っている訓練を続ける。

8回目の3月27日。最後のカウンセリングを終え、先生から言葉をいただく。

「いろんな人を見てきたけど、あなたは絶対に治るよ!」

そのときのシーンとその言葉は今でも心に焼きついている。

とてもうれしかったが、「自己催眠術」への疑いは消えたわけではない。その2ヵ月で確かに、安心感は出てきたが、実際にその効果が見えない。一人であれ、思い切って外食してみる勇気など出て来ない。もし、また今まで通りの禁断症状がでてしまったら、未来は完全に閉ざされるという大きな恐怖、不安が心にブレーキをかける。

訓練を続けて、ダメなら未来はあきらめよう。細々と生きていこう。そういう道もあるさ。そう自分に言い聞かせる。そして、翌日の3/28、東京生活を終え、地元に戻る。

「自己催眠術」を信じて、先生からいただいた催眠誘導の音声を使って、毎日訓練するしかない。自己催眠術への疑いが消えないものの、これを信じるしかない! これしかもう打つ手がない!

【「グーッ!」 この音はいったい? 】

『社会人生活ヶ月目の、鳥肌立つ瞬間』 

1988年4月-同5月

4/1、社会人生活がはじまる。4/1からの最初の5日間はオリエンテーション。昼食は、会社が準備した配達弁当を会議室で食べる。胸をなでおろす。弁当だから残そうが誰も気にしていない。助かった! オリエンテーション後の4月の残り3週間は製造実習で夜勤勤務体験。これが好都合!夜食休憩も交代制なので、一人で休憩室を利用する。夜勤は人がとても少ない。もちろん自宅から弁当持参なので、気持ちがとても楽!

「毎日、夜勤ならいいな。一生、夜勤でもいい」。自己催眠術を習い始め、早3ヶ月目。その効果がどうなのか、まったく見えない、判らない。外食で試すのはまだ怖い。小学校、高校、大学で経験したあんなみじめな思いはもうコリゴリ! 「自己催眠」の効果がなかったらどうしようと不安だらけの日々。でも訓練は続ける。

夜勤での製造実習が終わる4月最終週、手元に1通の案内。同じ大学出身のOBが集まり、新人歓迎会を5月20日に開催する案内。「余計なお世話だよ!やめてほしい」と自分の都合だけでそう考える自分。本来は、ありがたいこと…。

OBが主催する会なので、今後のためにも断れない・・・。どうしよう! やばい! お酒が出る席だから大丈夫と言い聞かせながらも、初対面の人ばかりだから不安だらけ。しかも会社員のお付き合いは想像したくないシーン。

5月になり、歓迎会の日が刻々と近づく。あと1週間、あと5日、あと4日、心の中でカウントダウン。いつもなら不安と恐怖から、身体が緊張し、禁断症状が起きはじめる。

日が近づくにつれ、落ち着かず、緊張感、不安感でいっぱいになるはずなのに、そのときは、なぜか落ち着いている自分。でも、高校や大学のときでも「今日は大丈夫そう」と挑戦して、散々な思いをしている。今回もそうなってしまうのか・・・。

とりあえず、お酒が出る席なので「酔えば大丈夫、大丈夫だ」と言い聞かせる。反面、なんとか宴会を正当に断れる理由はないものか? を考えている自分。そんな都合のいい言い訳は、そう簡単には見つからないもの。時間は刻々と迫ってくる。

歓迎会当日。

仕事を定時で終え、割烹料理屋へ向かう。行きたくない!逃げ出したい! でも、なぜか、気分は落ち着いている。禁断症状はまだ起きていない。

料理屋に到着。仲居さんが私を部屋に案内する。部屋の中に入ると、一人一人の席にお膳が。やばーっ! 一人一人決められた量の食事が出る。食べる量がまる見え。食べないと「どうした!食べないのか?」など、何からの声がかかるはず。残せない! プレッシャー! 大ピンチ!

OBの方々が、早々と7,8人ほど席にいる。学生時代に考えていた「想像したくない社会人の会食シーン」が目の前に。自己紹介がてら、いろいろと話しかけてくる。禁断症状はいつ現れるのか! 不安だらけ。でも来ちゃった以上、もう逃げられない!

恐怖症克服の兆し

しかし、、、 なぜか、今日は今までとは違う感じ・・・。

そんなとき、

突然、お腹が「グーッ!」と鳴る。

「(えーっ!)」

空腹を知らせるその音。あり得ない! えっ、ウソ? でも本当!

宴会スタート。仲居さんたちが、最初の料理を手際よく一人一人のお膳に運ぶ。乾杯のビールが注がれる。禁断症状は、まだ現れない!飲み会といえども、酔う前なので、この時間帯は禁断症状がピークを迎えるはず‥・。

でも、身体は今までのような反応を示さない。

目の前の料理を口にしたいほど、空腹感が増す。考えられない! またお腹が「グーッ!」と鳴る。まったく信じられない! 身体は自己催眠訓練中のときのようにリラックスしている。

ウソ! ホント?

これから禁断症状が出るかも・・・と、「素直に自分を信じる」ことをしない自分。

「乾杯!」の音頭。

ビールを一口。早く酔いが回ってほしい。そして早くリラックスしたい。でも、空腹のあまり、すぐに箸を取る自分。

「(お腹空いた!)」

まずは小さく取った料理を口にする。料理を噛む。料理が自然に喉を通った!美味しい! また料理を口に運ぶ。禁断症状は現れない…。鳥肌が立つ! 心が躍りはじめる!

「自己催眠術」の効果を確信した瞬間! 2月から習いはじめ、訓練を続けて3.5ヵ月。

でも、、、

たった4ヵ月足らずで嘔吐恐怖症が治る? 信じられない! 今日はたまたま? でもこれは現実! 夢じゃない!

頭の中では、驚きと喜び、そして疑いが交じり合う。良い意味で混乱状態。

解放されたような嬉しさ、光が射す喜び、未来への道が開けた手応えのあまり、宴会での会話はほとんど耳に入らず、今までの自分を回想する自分。その飲み会で、どんな会話があったのか、そんなことより「自己催眠術」のスゴさ、効果に感謝するばかり。こんな瞬間が訪れるとは!

諦めていた。でも待ち望んだ瞬間が現実になるなんて!

心の中に「輝き」が! これで未来が大きく切り開かれる! と疑いが確信に変わる。

その日を境に、さらに訓練に励む。布団の上にあお向けになり、呼吸法でリラックス状態をつくり、身体全体を弛緩させていく。それから特別訓練に入る。私の場合、人と楽しく会食しているシーンをイメージする。訓練といっても、毎日、寝る前の1回だけで、時間は20~30分ほど。正直なところ、仕事で疲れ、すぐに寝てしまい、訓練をサボるときも。

苦しんでいた当時を思い出しても、禁断症状はまったく起きない。

その時の心理状況で、外食前に「明日は大丈夫かな?」と、やや不安を感じるときもあるが、そんなときは、前もって自己催眠の訓練を行い、リアルな場面で、楽しく食事をしている自分、リラックスしている自分をイメージする。食事の時間を楽しく過ごしている自分をイメージする・・・。これだけ。

一度、体得してしまえば、毎日訓練する必要はない。何となく不安を感じたときだけ行っても十分に効果が発揮されている。

13年間続いた「嘔吐恐怖症」、これでようやく終りだ・・・。

ホント長かった! ホント辛かった! ホント情けなかった! ホント恥ずかしい思いだらけ!

欲しかった “ごく普通の生活”。それを手にした喜び。自分らしい「輝き」を取り戻せた「自己催眠術」に出会えたことに、ただただ感謝!

でも、、、

「あの13年間はいったい何だったんだろうか? 今後、どんな意味を持つんだろうか?」

【「自分らしく」生きられる幸せ

外食

自己催眠術と出会って3ヶ月半、その効果が見られ、半年も経たないうちに、現実に女性と会食している自分がいる。作り上げたイメージではなく、現実として!

それからの私は、というと・・・、

アメリカ生活

・23歳。初めての女性とのお付き合い。外食が楽しみに。活発に遠出する。

・27歳。社風が合わず、最初に就職した会社を退職。アメリカ生活を半年経験。F1イギリスGp、フランスGpを観戦(アイルトンセナ、勝てず、悔しさいっぱい)。帰国後、社風に憧れた会社に就職。期待通りの雰囲気!

・30歳。カミさんと出会い、娘3人の家族ができる。

・40歳。もともと料理を作るのが好きで、料理教室へ通う。

・53歳。会社員廃業。「あなた輝きProject」立ち上げ。

今でも「自己催眠術」は時々利用します。仕事でプレッシャーや不安を感じるとき、難題が立ちふさがり、気持ちが落ち着かないときなど、「自己催眠」によって、気持ちを落ち着かせ、身体をリラックスした状態にもっていけます。

もちろん、嘔吐恐怖症を克服してからは、会社の食堂で、仲間と普通に昼食をとっています。外食にも普通に出かけます。食べることの楽しさ、美味しい食材との出会いがとても好きになりました。あの13年間では考えられなかった“普通の生活”を送ることができています。

【「自己催眠術」のスゴさ! 私の経験から選んだ、その5つのメリット!

自己催眠術のメリットとデメリット

「自己催眠術」の効果を確信した会社のOB会から早30年以上経ちましたが、身体は当時の禁断症状を示すことはまったくありません。「自己催眠術」って、体得してみると、さらにスゴいところがあります。私が経験した中で気づいた5つの大きなメリットをお伝えします。

1つ目は、平井富雄氏の著書「自己催眠術(光文社)」にも書かれている通り『自己催眠術は、一度マスターすれば、その効果が、一生消えない』。まさにその通り! 人間がもつ自然治癒力のスゴさでもあります。これはあなたにも備わっている力です。

薬を使わず、身体から心へ働きかける方法なので、スポーツのように、一度、身体で覚えたものは、簡単には忘れないものです。マスターした後は、毎日訓練しなくても忘れてしまうこともなく永久ものです。

ちなみに、自己催眠は、当時の“思い出したくない記憶”を薄めるようなものではありません。記憶はそのまま鮮明に残ります。でも、当時の記憶を呼び起こしても、訓練の効果によって、身体が当時のような禁断症状を発することがなく、リラックスしている状態になるということです。

2つ目にスゴいところは、一度マスターしてしまえば、違う不安が来ても、その応用が利くこと。私の場合、30歳半ばくらいのとき、4,5年振りに自己催眠をやったことがあります。仕事で、新規部品生産立ち上げを任され、そのプレッシャーから胃がキリキリと痛みました。そこで久しぶりに「自己催眠」をしました。

すでに身体が、そのコツや感覚を覚えているので、それまで通り訓練できるものです。その1回の訓練だけでも、胃の痛みも消え、心も身体もリラックス状態になりました。プレッシャーが掛かる場面でも、その課題に取り組み、その課題を解決してゆく自分をイメージすることで、身体をリラックスさせることができます。そのプレッシャーや不安と上手く付き合うことができるようになります。

ちなみに補足ですが、自己催眠術をマスターしたからといって、それ以降、不安や悩みが完全に消え去ることはありません。1つの不安や悩みを解決できたとしても、また次のステージで、新たな不安や悩みが生まれるものです。それが人間です。

でも、新たに発生した不安や悩みに対して、自己催眠術を使っていけば、私の場合、不安や悩みで身体が覆いつくされることがなくなりました。心も身体もリラックスできる状態に持っていけるので、身体が禁断症状を起こすことはありません。

他にも、ちょっとした不安、心配によって、夜眠れないことが、あなたにもあるかと思います。そんなときでも、自己催眠術によって、グッスリ眠れるようにもなります。そんな応用もできます。

3つ目にスゴいところは、私の場合、電車でつり革につかまって、立っている状態でも、自己催眠ができます。3~4分もあればリラックスできるようになります。もちろん習いはじめたばかりのときは、そのような環境では集中できず、難しいでしょうが、慣れてしまうとそんな環境でも、不安な気持ちを落ち着かせることができるようになります。

4つ目は、体得したあとは、自分の力だけで訓練できるようになるので、カウンセラーや医師のお世話になる必要はありません。(特別な道具も必要ありません。布団やイスがあればいいだけです)私の場合、1988年2月~3月の2ヵ月間、計8回のカウンセリングを受けて以来、30年以上経ちましたが、心の問題でカウンセラーや医師にお世話になったことは一度もありません。いつでも、どこでも、必要なときに訓練できる自己完結型の方法ですね。

「自己催眠術」は、平井富雄さんの著書『自己催眠術』にもありますが、『医師の指導がなくても技法や注意さえ忠実に守れば確実に効果を発揮する方法』です。今では多くの書籍も出版されています。それに注意点も書かれています。Youtubeでも自己催眠に関する音声もアップされているので、私が苦しんだ時代より、詳しい情報が入ります。

5つ目は、後遺症のようなものがないこと。自己催眠は、心の力、自然治癒力を使う方法ということもあり、後遺症と思われるものがまったく感じられません。私の場合、訓練の途中、セッションが終わらないまま寝てしまうことが、しょっちゅうありますが、30年以上、身体に何か影響が出たという経験がありません。

とはいうものの、メリットばかりではありません。もちろん自己催眠術にもデメリットはあります。

それは、、、

即効性がある方法ではありません。

個人差があるとは思いますが、体得するまでの最初の3,4ヵ月は、毎日、15~30分ほどの訓練が必要になります。身体で覚える必要があるからです。スポーツと同じです。はじめて直ぐに、上手くできるようにはならないのと同じ原理です。

とはいうものの、最近、仕事での悩みを抱えている同僚に「自己催眠術」を教えたところ、訓練をはじめて2、3日経ったところで、朝までグッスリ眠れている自分に気づいたと言っていました。それまでは、夜中、ちょくちょく目が覚めていたそうです。最終的な悩み解決までのゴールはまだ先ですが、ゴールに向かう途中でも、「眠れるようになった」、「不安や悩みで食欲が落ちることがなくなった」、「気分がスッキリする」など、小さいな効果も感じてもらっています。

デメリットのもう1つとして、同じ姿勢を保つことができる環境が必要ですね。さすがにスポーツなど、身体を動かしながら自己催眠をすることはできないと思います。電車の中でも、オフィスでもいいので、5分くらいは同じ姿勢を保つことができる環境が必要ですね。慣れると多少の騒音は気にならなく訓練ができますが、同じ姿勢を保つ必要はあると感じます。

【未来を変えるために。得られた3つの教訓】

「嘔吐恐怖症」を克服したことで、もちろん人生が大きく変わりました。体得できたことに加え、さらに、3つの大きな教訓も得ることができました。

恐怖症克服で得られた教訓

1つ目の教訓は「リサーチしながら行動することで未来を変えられる」です。

一般的にも言われることですが、何をか変えたいなら「行動」する。これで未来を変えられます。というか、これしかないですね。リサーチしているだけでは何も変わりません。

私も13年間、不安ばかり考え続けただけでした。そこには、打開に向けての行動はほとんどありませんでした。『自己催眠術』という1冊の本を買ったくらいでしょうか・・・。あとは「どうしよう。どうしよう」と悩み続けただけ。それでは前に進ませんよね。ただ時間が過ぎていくだけです。それが私の13年間でした。行動し、新しい環境を探す、とにかく、自分でいいと思った新しい環境に飛び込んでいく・・・。それしかないですよね。

同じ悩みや不安を抱えているあなたも「行動」することを選んでほしいですね。将来の大きな不安や悩みより、まずは、今抱えている、目の前の悩みや不安を解決することからスタートしてほしいです。

とはいうものの、「とにかく動け!」と教える方も見えますが、私の場合、あなたの考え方に合いそうな方法を「リサーチしながらも、行動する」ことが大切だと伝えています。

現代は、いろいろな情報があふれすぎていて、どの情報があなたに合っているのか? を見極めるのが本当に難しいですね。「恐怖症 克服」をネットでリサーチしてみると候補がたくさん出てきますよね。

・薬(精神科)

・暴露法

・自己催眠術/自律訓練法

・カウンセリング

・ヨガ

・傾聴

・悩み相談室

・似たもの同士の悩み打ち明けサークル

・占い

・お祓い

・気合い

どんな方法でもいいので、あなた自身に合っているんじゃないかな・・・と感じる方法を、リサーチしながらも、まずはメールでも、直接会って話しを聞いてみるなど、アプローチ(行動)してみてください。

 

2つ目の教訓は「選択はすべて自分。未来を創るのも自分」ということ。

正直なところ、恐怖症で悩んでいたときのこと(とくに小学6年の1年間)は思い出したくありませんでした。「あの担任に出会っていなかったら、こんな恐怖症に苦しんでなかったはずだ!」と、担任を恨んでいました。

でも、40歳を過ぎたあたりで、ふと考えたことがあります。もし小学6年のとき、給食を残しても何も言われなかったとしたら、どんな結果になっていただろうか?と。

実際、私の人生はその流れに行っていないので、そんなこと考えても仕方がないことでしょうが、結論として、結局どこかのタイミングで「嘔吐恐怖症」になっていたと解釈しました。

実際、私自身で創り出してしまった、起きてもいない恐怖に悩み続け、「こんなことが起きてしまったら、どうしよう。恥ずかしい。嫌われる」と、恐怖心を大きく育ててしまったことが原因です。それは小学6年の担任の責任ではないですよね。

嘔吐恐怖症がひどくなった出来事であったとはいえ、トラウマを創り出してしまったのは、私自身です。当時はそんな解釈はできませんでしたが、今の私の解釈では「自己責任」でしかありません。自分がどんな選択をするかは自分自身だということですね。

 

3つ目の教訓は、「自分を信じる」ことですね。

「心の問題は、心で治すのが、原理原則なんじゃないか…」と、私は考えていました。でも、正直なところ、自己催眠を習い始めたとき、心の中では「本当にこの方法で克服できるんだろうか?」という疑問もあったのも事実です。

自己催眠術について、次のようなコメントをいただいたことがあります。

『私にはこの方法で、嘔吐恐怖症が良くなるという確信がないんです。インターネットで調べるとそこまで効果がないように思います』

・・・確かにそう思うでしょうね。前述したように、恐怖症を克服する方法/克服した方法は、今では、インターネット上に、たくさん掲載されています。正直なところ、あなたが恐怖症を克服し、輝く未来を手に入れることができるなら、どんな方法でもいいんです。

ただ、あなたがリサーチした結果、“これが自分に合ってそうだ”と決めたものについては、例えば、6ヵ月、1年など期間を決めて、その期間は、その方法だけを信じて、克服ことに集中してほしいですね。

残念ながらこの世には「この方法なら絶対に大丈夫」という方法は、どんな分野でも存在しません。結果が出てはじめて「確信できる」ものです。

人は、誰でも即効性を求めてしまいます。これはあなただけでなく、誰もが同じです。でも恐怖症を治す即効性がある方法があったとしたなら、この世の中に“○○恐怖症”という言葉は存在しないはずですよね。あなたに合いそうな方法を見つけ、決めた期間は、それを信じてみてください。

1つの方法を試しながら「他に確信が持てる方法はないだろうか?」と探しはじめると、今の方法に集中できなくなってしまいます。それで良くなるでしょうか? おそらく、効果は出ず、「あなた自身を信じないあなた」が残るだけになってしまうのではないでしょうか。そして堂々巡りをする。

自分自身を信じられない人は、どんな方法、どんなアドバイスを聞いても信じることはでありません。「自分が考えたこと、自分が選択したことが信じられない」スパイラルに陥っているから。

あなたが輝く番です

私の場合、「自己催眠術」と出会い、カウンセラーと出会い、自分を信じようとする自分と出会い、人生を大きく変えることができました。「自己催眠術」でなくても、どんな方法でもいいので、あなたに合った方法を見つけ、あなたも、「あなたらしい輝き」「本当のあなた」を取り戻してほしいですね。

【次は、あなたが「輝き」を取り戻す番】

これからは、AI、ITなどの技術の急速な発達によって、今までは当たり前だった多くの仕事が急速になくなる時代です。避けたくても、逃げたくても、我々はそんな時代に直面してしまいました。

残念ながら、技術が急速に発達しても、「人の心」は、その変化にすぐに対応できるようにできていません。今まで以上に「心の力」が問われ、「心の力」を大切にしなければならない時代ではないでしょうか。

あなたが今抱えている不安や恐怖。今は小さくても、それら大きくなってしまうと、心だけではコントロールできなくなり、身体までも蝕んでしまいます。そうなると取り返しがきかなくなってしまいます。過去の私のように。

とはいうものの、不安や恐怖はスーッと消えてなくなるものではありません。1つの不安を乗り越えたとしても、また次のステージで新たに発生する不安や恐怖が待っています。不安や恐怖は、本来、自分を成長させるために必要なものです。それを乗り越えて自信をつけていくものです。

ただ、今抱えている不安や恐怖を上手くコントロールする、上手くお付き合いするためには、あなた自身が持つ「心の力」「自然治癒力」を信じて、目の前に現れる不安や恐怖を乗り越える何らかの方法を持っていることが、これから急変する時代を生きていく上で、大きな武器になります。

その1つの方法が「自己催眠術」だと私は考えています。

もちろんですが、

「自己催眠術」でなくても、あなたに合った方法であれば、どんな方法でもいいんです。あなたが、あなたらしい「輝き」を取り戻してもらるなら。

ある意味、小学6年での給食での苦しみ、13年間の嘔吐恐怖症との闘いは、気が小さい私に、神さまが、不安や恐怖から心と身体を守るための武器として「自己催眠術」を与えてくれたのかもしれませんね。

確かに、日常生活で不安や大きな緊張に直面したとき(例えば、仕事で発生した問題解決を任されたときやプレゼン、昇格試験など)、胃が痛む、不安で落ち着かないことが、今でもあります。こんなとき、体得した「自己催眠術」を使い、その場面で自分が落ち着いている、自信を持って臨んでいる自分をイメージすることで、胃の痛みが消え、その不安が安心になり、心も身体もとても落ち着いてきます。

「大丈夫!できるよ」と自分を信じる自分もいて、これまで、いろいろな場面を乗り越えられました。「自己催眠術」はいろいろな場面でも応用が効く方法です。

何度もいいますが、スポーツと同じで、一度体得したものは、身体は簡単には忘れないものです。一度、体得してしまえば、その後、心が安定している期間は、訓練できなくても大丈夫です。個人差があるとは思いますが、習いはじめの最初の1ヵ月から4ヵ月くらい頑張れば、体得できる方法です。13年間苦しんだ嘔吐恐怖症が、たったの4ヵ月で、その効果が現れたくらいですから。あとは、あなたが、それを信じるか、信じないかですね。あなた自身が持っている“心の力(自然治癒力)”を信じるか、信じないかということです。

あなたが輝く未来、それを創るのは「あなた」しかいません。サポートはできるかもしれませんが、やはり、あなた自身でしか「あなたが輝く未来」を創ることはできません。

あなたが「輝く未来を創る/切り開く」ための行動をしていただければ嬉しいですね。

 

長い体験記に、ここまでお付き合いいただき、とても感謝しています。

「自己催眠術」以外の方法でも構いませんので、あなたが恐怖症を乗り越え、「あなたらしい輝く未来」を手にすることができたなら、その体験談を是非ともお聞かせください。同じように、悩み、苦しまれている方々に励ましや勇気を与えられることができたらいいですね。そんな機会をとても楽しみにしています。

輝きを取り戻した私