『嘔吐恐怖症を克服しようとしたキッカケは何だったんですか?』
という質問をされることがよくあります。
私が嘔吐恐怖症で苦しんだ、あの13年については、長年、人に話しをすることができませんでした。
思い出すと、気分が悪くなるとか、再発するんじゃないか…。
そういう不安ではありませんでした。
『嘔吐恐怖症を克服しようとしたキッカケは何だったんですか?』
という質問をされることがよくあります。
私が嘔吐恐怖症で苦しんだ、あの13年については、長年、人に話しをすることができませんでした。
思い出すと、気分が悪くなるとか、再発するんじゃないか…。
そういう不安ではありませんでした。
あなたは、もし永遠の命が、タダで手に入るとしたら、欲しいですか? 手に入れたいですか?
かなりの人がほしい! と答えるんじゃないかと・・・。
このような話し、どこかで聞いたことありませんか?
そうです!
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『すべては勘違いからはじまる』
この言葉、聞いたことありませんか?
“勘違い”って、
「間違って思い込むこと」という意味だそうです。
言い換えると、
『すべては、間違って思い込むことからはじまる』 ということですね。
恐怖症になっちゃうんじゃ…。
恐怖症からなかなか脱することができない!
本当に純粋で、真面目で、素直な方ほど、そういうスパイラルに入ってしまう傾向にあるかと感じます。
責任感もつよく、しっかり仕事もやり、考えもしっかり解りやすく伝えられる方…。
その反面、そういう方って、不安や恐れを感じた時、
「悪い結果が起きてしまったら、どうしよう」
「なんで自分はダメなんだ・・・」
「なんて自分は弱いんだ…」。
と考えすぎちゃったり、自分自身を責めちゃう傾向も強いのかなって感じます。
私の、普段から何気なく口にしているその言葉が、ある女性から注意を受けました。
注意というよりも、私にとって、とても新鮮で、適切なアドバイスでした。その話をシェアしますね。
もしかすると、あなたも普段、その言葉を口にしているかもしれません。
私が、その女性に発した言葉は、、、
「そんなことないですよ…」
これです。Aさんから、
「この言葉は、褒められ下手が言う言葉ですよ」とアドバイスを受けました。
それ以来、次のような場面では禁句にしています。
どういう経緯で、そんな話しになったかというと、、、
大阪駅付近の会議室で開かれた講座に出席したとき、たまたま私の隣に座ったAさん。その講座の昼休み、「お金をおろしたんですけど、近くにコンビニってあるでしょうか?」
「わかりますよ。一緒に行きましょう」
私も大阪はほとんど来たことがなかったんですが、たまたま講座が始まる1時間前に大阪駅に着いていたため、その会議室の周りを探索していたこともあり、鼻高々に(?)、案内しました。
会議室がある階からエレベーターで地下に降り、そこから歩いて2分くらいのところにあるコンビニに案内しました。コンビニに向かいながら、Aさんと、世間話しをしていたら、Aさんから、次のような言葉を頂きました。
『鈴木さんって、誠実で、堂々とされていますね』
私から、とっさに出た言葉が、、、
「そんなことないですよ…」
Aさんは、曇ったような表情を浮かべながら、私に次のような素晴らしい話しをしてくれたんです!
『私は、本当にそう感じたからそう言いました。とくに日本人は褒められると謙遜した言葉を返しますが、「そんなことないですよ」と返してしまうと、相手は「(否定された・・・。褒めても、この人は素直に受け取ってくれない)」ともう褒めなくなってしまいますよ。褒められたことを素直に受け取れば、相手もうれしくなり、良いと思ったことをまた褒めてくれますよ。褒められ上手の方は、褒められたことを素直に受け取り、感謝するんですね。褒めた相手もうれしくなるんです』
なるほど!!
「失礼しました。確かに、Aさんのおっしゃられる通りです。率直なアドバイス、本当にありがとうございます。ところで、1つお聞きしたいんですが、褒められたとき、どう返せばよろしいですかね?」と私。
『「恐縮です。ありがとうございます!」って返すといいですよ』
さらに、
『「恐縮です。ありがとうございます」って、一歩引いた感じで、ありがとうと感謝を伝えていますから、相手は、「(真摯に受け止めてくれた)」と感じると思いますよ』
「なるほど! Aさん、本当にありがとう! 素晴らしいアドバイス、ありがとう! 今からそうします」
それ以来、人から褒められたときは、
「そんなことないですよ」は封印しています。
この言葉は潜在的に「(自分は褒められるほどの人間ではない)」と、他人と比べ、自分を低く見積もっていますよね。自分を認めない自分という意味も込められてしまっていますよね。自己否定しているわけです。
人から褒められたときは、素直に言いましょう!
『恐縮です。ありがとうございます!』
いかがでしたか?
あなたは、褒められ上手ですか?
今も恐怖症でお悩みの方にとっては、とても不愉快な話で申し訳ないんですが、私は最近、恐怖症になったことで、感謝することがあります。もちろんですが、“ちょっぴり”の感謝です。
というのは、13年の恐怖症生活から脱することができてから、ときどき、一人でバーや居酒屋に行くようになったんです。行くと必ずカウンター席に座ります。カウンターに座ると同じように一人で来ている方がいるんですね。店のマスターと話しているうちに、その方とも打ち解けて話しをするようになるんですね。
初めての人と話をすると、話題も新鮮で、「へぇー、そうなんですか!」面白いことばかり。
そんなとき、
「過去の振り返り」をすること、それが「本当の自分」を知るカギを握っていると私は考えるんですね。
実際、振り返りをする前、自分は次のような性格だと考えていたんですね。
・人から嫌われることを、まったく気にしない。
・自分が他人からどう評価されようがどうでもいい。
・飾らず、いつも自然体。
・プラス思考
しかしながら、人間は”多面性”を持ち合わせ、場面によって正反対の性格を持っている…。
それを頭に入れながら、過去を振り返る質問に答えていくと…。
「本当の自分」を知るためには、「過去の振り返り」をすること、過去の記憶が「本当の自分」を知るカギを握っていると私は考えているんですね。
「過去なんて、変えられないから、そこから何を得るんだ?」とあなたは思っていませんか?
あなたが言う通り、過去、そして記憶は変えられないものです。
ただ、過去の記憶の“捉え方”、それは変えられるんですよ。
そこに内省が生まれ、例えば、当時の怒りが、今なら感謝に変わったりするんですよ。
そう思うことって、ありませんか?
「あの時は、ホント、怒り狂ったけど、あれがあったからこそ、今があるんだ」と。
雑誌などを見ると、性格分析が載っているときがありますよね。
質問に答えて、A方向に進むか、B方向に進むか…。4,5問の質問に答えていくと…、
『あなたは、積極的で、バリバリと仕事をこなし、組織を育て上げていく管理職タイプです』という結果にたどり着いたとします。
「確かにそうだ」。あなたはハッと気づきます。笑みを浮かべながら。
同時に、ふと、「(実は、2問目の質問でAに進むか、Bに進むか迷って、Aを選んだけど、Bを選んだなら、どういう性格にたどり着くだろう?)」と、2問目に戻って、もう一度分析してみると、『あなたは、与えられた仕事を、一人でコツコツと粘り強くやり遂げる研究者タイプです』という答えにたどり着いたとします。
「(確かに、こっちも自分に合っているよな…)」と。
このような経験って、ありませんか?
ある講座の中に、『自分の好きなこと、やりたいことを発見しましょう』というカリキュラムがある。その課題を進めていく途中、私に不思議な現象と気づきが起きたことをシェアします。
それによって、今まで心の中では思っていたことを実行することができたんです!
それは、母親に対して、初めて「今まで、本当にありがとう!感謝です!」と口にできたいうこと。
それまでは、心の中では感謝はしていましたが、面と向かって言えなかった言葉。それ以来、母に会うたびに、「あのときは、そう言ってくれて、嬉しかったんだ」、「あのとき、ああ言ってしまったけど、本当にごめんね」と飾ることなく言える私。
どうして、あれだけ抵抗があった母に、直接、感謝の言葉が言えるようになったのでしょうか?
講座の課題を、自分の好きなこと、やりたいことを探すために、真剣に取り組む。課題は『過去の振り返り』。自分を真剣に振り返るいい機会でもある。しかし、恐怖症を抱え、そのつらかった13年をあまり思い出したくない自分もいる。だから、今まで真面目に過去の自分と向き合ったことはない。
自分が生まれたときのエピソードから始まり、幼少期から今までの記憶をしっかりと言語化していく。そして小学生、中学生、高校生、大学生と順を追った質問に1つ1つ丁寧に答えていく。質問には箇条書きではなく、エピソードで答えていく。
とくに、中学、高校では、あれこれと「これはやってはいけない」、「こうしなさい」、「あんたは何でいつも、自分勝手なことばかり言うの!」 と細かい指示を出す母に反発していたことを思い出しながら、質問に答えていく。書きながら、当時の怒りが込み上げてくる。
「(いちいち、うるさかったな! 本当に、お節介なことばかり言われたな! 話すごとにケンカ!思い出すだけでも本当に腹立つわ!)」
そんな怒りが込み上げてくる。
親に関する質問ばかりでなく、担任の先生や兄弟、周りの人との記憶も対象。小学校から中学校は、担任に「あなたはここが短所だから、ここを直しなさい」と言われてばかり。ただ唯一、中学3年の担任の先生だけは、私をクラスメイトの前で、褒めてくれた。「(あの話は、感動したな…)」。エピソードを書きながら、そのありがたさを思い出し、感謝の涙を流す。あの時の、うれしい感情があふれ出る。
高校1年のときの担任も、私のために尽くしてくれたことを思い出し、涙する。
現在までの振り返りを終え、未来への質問に変わる。
私が、死ぬ直前の質問もある。
「どんな最期を迎えたいか?」。「それまでの目標は何か?」
未来への質問に答えながらも、質問が残り少なくなるにつれ、不思議な感覚が芽生える。
それは、
『感謝』
という言葉。
人から感謝される人間、人にポジティブな影響を与えられる人間でありたいという気持ちが強くなる。その感情が芽生えたとき、
「(母も、私が憎くて、コマかいことを言っていたわけではないよな。僕にとって、いいと思うことを言っただけの話で、強要したわけではない。当時は、腹が立って、そこまで口を出すなとは言ったものの、今の自分の解釈で当時を振り返ると、あそこまで腹を立てることではないよな…)」
そんな想いが込み上げてくる。
幸い、母はまだ健在。
父が病死し、高校、大学と、面倒を見てくれた。それを「(ありがとう)」と思いながらも、直接、口にしてこなかった私。母にさえ、「ありがとう!」、「感謝しています」と言えない自分なら、誰からもそう言われる人間にはなれないと気づく。
そして、実家を訪れ、母にそれとなく、「あのとき、本当はうれしかったんだ…」というと、「あんた、洗脳されていない?」と、席を立って、台所に向かい、洗い物を始めてしまう。
しばらくして、思い出話しに戻る。そして、
「大学まで出してもらって本当にありがとう! 本当に感謝です! 今までありがとう! 丈夫な体をくれて本当にありがとう!」
ハッキリと、直接、母に伝える。
410問の振り返りの質問…。
質問そのものは、シンプルではあるが、しっかりと振り返り、言語化したことで、自分の過去が整理でき、今までより、自分は何者なのかが見えるようになってくる。
一番の収穫は、母親への気持ちを理解することができ、母に感謝を伝えることができたということ。
二つ目の収穫は、「自分は人に嫌われても大丈夫で、そんなことはまったく気にしない人間」と、長く考えていたことが、実は自分でふたをしていて、「嫌われたくなく、人目を気にする人間」だということに気づく。イヤだと思っていた部分を自分も持ち合わせているということ。
過去の振り返りによって、「自分はこういう人間なんだ!」と思っていたことは、実は、仮面をかぶっているだけで、本当の自分は…。ということが見えてくる。それが見えてくると、背伸びして自分が疲れるということも見えてくる。
恐怖症で悩んだのも、そのような考え方をしていたから、そうなったんだろうということも見えてくる。
過去の記憶は変えられないけど、過去の解釈は変えることができる!
知っているようで知らない自分。自分を知るには「過去の振り返り」。本当にそう思う。
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