今まで、私が嘔吐恐怖症になったキッカケが1975年の小学4年生のときの夜、嘔吐したこと、それ以来、小さな怖さによって、給食のパンを残すようになったこと、クラスメイトが吐くことを見て、人から嫌われたくないと考える自分がいることをお伝えしましたが、今回は、“小さな怖さ”が、“恐怖”に変わった事件についてお話しします。
今回お話しする、私が当時見た光景は、現代の教育現場では起きていないことを切に願っています。それくらい強烈なものでした。私の心の中にあった吐くことに対する“小さな怖さ”が“恐怖”に変わった光景でもありました。
気分を悪くなるかもしれませんが、赤裸々にその光景をお話しします。
昼休み時間は、雨以外はグランドに出て友人と遊んでいますが、その日は雨だったので廊下で遊んでいました。すると、同じ階にある1学年上の小学5年エリアの廊下に、一人の女生徒が正座させられています。彼女の目の前には、給食を食べるときに使う布巾が廊下に敷かれ、その布巾の上に残ったパンが置かれています。給食時間中に食べられなかったパンを、廊下で食べされられています。
「(あぁ、かわいそう。廊下にまで出されてパンを食べさせられるなんて・・・)」と、近くの廊下で友人と遊びながら、そう考えていました。
そんなとき、目を疑うような驚きの光景が…。
彼女の前に、彼女の担任Tが現れ、Tが、その手でパンを一口サイズにちぎり、彼女の口の中にパンを無理矢理、ねじ込んでいる光景。「早よ、食べろ!」と彼女に言いながら、担任Tは、嫌がる彼女に、パンを指で口の奥底まで押し込みます。
彼女は、吐きそうな反応を示しながらも、廊下に座り続け、担任Tがねじ込むパンを口の中で一生懸命噛んでいます。目も涙目になっています。まだ口の中にパンが残っているにもかかわらず、その担任Tは、どんどんパンを彼女の口の中にねじ込んでいきます。彼女は何度も何度も吐きそうな体の反応を示します。
この日以来、彼女が昼休み中、廊下で給食を食べされている光景を、遠くから何度も何度も見ました・・・。
・・・・
吐くことに、小さいながらも怖さを感じていた私にとっては、衝撃過ぎる光景。
“小さな怖さ”が“恐怖”に変わった光景。人に対する恐怖が生まれた光景。
嘔吐への恐怖に加え、これから小学5年、小学6年になっていく私にとって、「もし、Tが担任になったら、どうしよう…」という恐怖が芽生えた瞬間でもありました。
小さな怖さが、少しずつ確実に大きくなり、頭の中で広がっていくのを感じました。
そして、これから次第に身体をも蝕んでいくとは、このときの私はまだ気づいていませんでした。
そして、次第に給食を食べる量を減らすようになってしまいました。
小学5年になる前、もし担任がTになったらどうしようという恐怖も次第に大きくなっていきます。
今回はここまでとします。
次回は、小学5年のときの話をします。
P.S
話しは変わりますが、今でも給食を残さずに食べさせる先生がお見えになるかと思います。あなたにとって、必要な栄養素を計算している給食とはいえ、食べる量は人それぞれです。私のように恐怖症になってしまい、長年苦しむより、「自分が食べる量は自分が決める」と考え、食べたい人に分けたり、堂々と残したりしてくださいね。
残すことはまったく恥ずかしいことではありませんから。それでも残すことを許してくれない先生だとしても、さらに何とかする策は必ずありますよ。