今まで、私が嘔吐恐怖症になったキッカケが1975年の小学4年生のときの夜、嘔吐したこと、それ以来、小さな怖さによって、給食のパンを残すようになったこと、クラスメイトが吐くことを見て、人から嫌われたくないと考える自分がいること、生徒が廊下で担任からパンを口にねじ込められている光景を見てしまったことについてお話ししました。
5年生の女子生徒が、給食時間に食べられなかった給食を、廊下に座らされ、その子の担任のTの手で、パンを口にねじ込まれ、吐きそうになっている光景を目の当たりにした私は、さらに吐くことへの恐怖を感じながらも、もし小学5年、小学6年でこの担任に当たってしまったら、、、という新たな恐怖も感じるようになりました。
何とか、普通に給食を全部食べられるようにならないものか…。そして嘔吐への恐怖をなくし、みんなと同じように楽しい給食時間を過ごせないか…。
「(大丈夫! オマエはできる!)」
と心の中で、そう言い聞かせても上手くいきません。
余計、悪い結果を考えるようになってしまいました。学校に行くにが憂うつになっていました。給食さえ何とかなれば…。
そこで、その日の胃腸の調子が万全になるように、ある有名な胃腸薬を毎朝、飲むようになりました。「(これを飲んでいるから、胃の調子は大丈夫なんだ!)」と自分に言い聞かせるために。
朝食は相変わらず食べず、胃腸薬だけを飲みました。
確かに気持ちは楽になりました。
薬によって胃の調子はいいはずなので、吐くことはない!と考えました。
でも、給食を完食するまでにはなりません…。そもそも恐怖の原因が、胃の調子ではないということを自分の頭の中では解っているからでしょう。潜在意識が「(そういう問題じゃない)」と。
結局、当たり前ですが、改善はしませんでした。
胃腸薬を飲んで「胃の調子は大丈夫!」という方法は、私にとっては改善策になりませんでした。当たり前のことでしょうが、それくらい心が追い込まれていたんだと思います。にもかかわらず、胃腸薬を毎朝飲むのが当たり前になっていました。それを飲んでおけば、少なくとも胃の調子は大丈夫という安心感を得たかったんだと思います。
当時は「ノイローゼ」という言葉が一般的に使われていましたが、私の周りで、薬を飲んで良くなっている人を聞いたことがなかったですし、TV番組でも時々、ノイローゼについて取り上げていました。小学生ながら、私はその番組から改善するヒントがないかと観ていましたが、具体的な改善方法の話はなく、お医者さんに行ってください程度だったと、そう記憶しています。
私の心の中では、「(もし、薬で恐怖症やノイローゼが治るなら、それで困っている人は世の中にいないだろう)」と考えるようになりました。
今は、ただ薬を出すだけではなく、最初は薬で症状を和らげながらも、薬を絶って自力で改善していく療法もあるようなので、今はそういう方法も選択肢にあるのかもしれませんね。
次回は、小学5年から小学6年の4月までの経験についてお話ししますね。
「嵐の前の静けさ」といった感じですね。