「本当の自分」を知るためには、「過去の振り返り」をすること、過去の記憶が「本当の自分」を知るカギを握っていると私は考えているんですね。
「過去なんて、変えられないから、そこから何を得るんだ?」とあなたは思っていませんか?
あなたが言う通り、過去、そして記憶は変えられないものです。
ただ、過去の記憶の“捉え方”、それは変えられるんですよ。
そこに内省が生まれ、例えば、当時の怒りが、今なら感謝に変わったりするんですよ。
そう思うことって、ありませんか?
「あの時は、ホント、怒り狂ったけど、あれがあったからこそ、今があるんだ」と。
例えば、私のケースですが、、、
大学が決まり、大学の寮に入るときのこと。実家から荷物を送るとき、『とりあえず、布団と一人分の食器、鍋1つ、タオルだけ送るから。実際に寮に入って、部屋の大きさや設備を見てから、必要なものがあればお願いするから』と母にリクエストしたんですね。
しかし、母は、あれこれと段ボールに荷物を詰めていく…。洗濯洗剤、洗濯干し、洗濯バサミ、洗濯用のかご、洗った食器を置く容器、やかん、フライパン、割りばし、インスタントラーメン、…。
段ボールが2,3、4箱と、どんどん増えちゃって…。リクエストと違うから、
『ここよりも都会に行くんだから、必要なものはあっちで揃えればいいでしょ!部屋の広さも判らんのに余計なもの入れんといて!』と、母に怒ったんですね。
『あんたは人の気持ちがいつまで経っても解らない子だね! 少しは親の気持ちを考えたらどうなの!』と逆ギレ。
『うるさい! もういい加減にしろよ!・・・・! …!』と、大ゲンカ!
高校時代を「振り返り」しながら、そのエピソードを思い出したとき、怒りが込み上げてきたんですね。「あのときは、本当に腹立ったな。お節介なことばかりしやがって。自分の考えを人に押し付けるのは絶対にダメ」。記憶の中では、激怒している自分しかいないんですね。
でも、「振り返り」を進めて、老後に関する質問に入っていったら、
『あなたは、人生をどのように終わらせるつもりですか?』という人生最期に関する質問があるんですね。それらの質問に答えていくうちに、心の中で、「(今の自分のままだと、こんな最期を迎えてしまう!)」と恐怖が芽生えたんですね。
そうしたら、「感謝」という言葉が浮かんできて…。
とくに中学以降、母とは口ゲンカばかり続いていたから、「(このままででいいのか?)」という思いも出てきて…。
当時は、怒りの感情だったエピソードが、今の自分の捉え方にしてみると、「(僕のことが憎くて、やっていたんじゃない。そんなに怒ることではなかったじゃないか)」という思いに変わって…。
当時は、母に対して、怒りだけだった記憶に、感謝の気持ちが加わったんですね。捉え方が変わったんですよ。
当時の母に対するありがたさも芽生えたんですね。
それで、母に直接、
「今まで、本当にありがとう! 感謝しています!」と生まれて初めて言えたんだと思いますね。
不思議だけど、仮面をせずに、素直になればいいんだと気持ちが楽になったんですかね。自分が恐怖症で苦しんだのも、仮面をかぶっていた自分を演じていたからなんだと思う。
過去って、変えられないことだけど、捉え方によって、過去の感情は変えられるんじゃないかな。それを積み重ねていくと、自分の本心、「本当の自分」が見えてくるんでしょうね。
「過去の振り返り」(老後は未来の話ですが…)が、その大きなカギになるんですよ。