ある講座の中に、『自分の好きなこと、やりたいことを発見しましょう』というカリキュラムがある。その課題を進めていく途中、私に不思議な現象と気づきが起きたことをシェアします。
それによって、今まで心の中では思っていたことを実行することができたんです!
それは、母親に対して、初めて「今まで、本当にありがとう!感謝です!」と口にできたいうこと。
それまでは、心の中では感謝はしていましたが、面と向かって言えなかった言葉。それ以来、母に会うたびに、「あのときは、そう言ってくれて、嬉しかったんだ」、「あのとき、ああ言ってしまったけど、本当にごめんね」と飾ることなく言える私。
どうして、あれだけ抵抗があった母に、直接、感謝の言葉が言えるようになったのでしょうか?
講座の課題を、自分の好きなこと、やりたいことを探すために、真剣に取り組む。課題は『過去の振り返り』。自分を真剣に振り返るいい機会でもある。しかし、恐怖症を抱え、そのつらかった13年をあまり思い出したくない自分もいる。だから、今まで真面目に過去の自分と向き合ったことはない。
自分が生まれたときのエピソードから始まり、幼少期から今までの記憶をしっかりと言語化していく。そして小学生、中学生、高校生、大学生と順を追った質問に1つ1つ丁寧に答えていく。質問には箇条書きではなく、エピソードで答えていく。
とくに、中学、高校では、あれこれと「これはやってはいけない」、「こうしなさい」、「あんたは何でいつも、自分勝手なことばかり言うの!」 と細かい指示を出す母に反発していたことを思い出しながら、質問に答えていく。書きながら、当時の怒りが込み上げてくる。
「(いちいち、うるさかったな! 本当に、お節介なことばかり言われたな! 話すごとにケンカ!思い出すだけでも本当に腹立つわ!)」
そんな怒りが込み上げてくる。
親に関する質問ばかりでなく、担任の先生や兄弟、周りの人との記憶も対象。小学校から中学校は、担任に「あなたはここが短所だから、ここを直しなさい」と言われてばかり。ただ唯一、中学3年の担任の先生だけは、私をクラスメイトの前で、褒めてくれた。「(あの話は、感動したな…)」。エピソードを書きながら、そのありがたさを思い出し、感謝の涙を流す。あの時の、うれしい感情があふれ出る。
高校1年のときの担任も、私のために尽くしてくれたことを思い出し、涙する。
現在までの振り返りを終え、未来への質問に変わる。
私が、死ぬ直前の質問もある。
「どんな最期を迎えたいか?」。「それまでの目標は何か?」
未来への質問に答えながらも、質問が残り少なくなるにつれ、不思議な感覚が芽生える。
それは、
『感謝』
という言葉。
人から感謝される人間、人にポジティブな影響を与えられる人間でありたいという気持ちが強くなる。その感情が芽生えたとき、
「(母も、私が憎くて、コマかいことを言っていたわけではないよな。僕にとって、いいと思うことを言っただけの話で、強要したわけではない。当時は、腹が立って、そこまで口を出すなとは言ったものの、今の自分の解釈で当時を振り返ると、あそこまで腹を立てることではないよな…)」
そんな想いが込み上げてくる。
幸い、母はまだ健在。
父が病死し、高校、大学と、面倒を見てくれた。それを「(ありがとう)」と思いながらも、直接、口にしてこなかった私。母にさえ、「ありがとう!」、「感謝しています」と言えない自分なら、誰からもそう言われる人間にはなれないと気づく。
そして、実家を訪れ、母にそれとなく、「あのとき、本当はうれしかったんだ…」というと、「あんた、洗脳されていない?」と、席を立って、台所に向かい、洗い物を始めてしまう。
しばらくして、思い出話しに戻る。そして、
「大学まで出してもらって本当にありがとう! 本当に感謝です! 今までありがとう! 丈夫な体をくれて本当にありがとう!」
ハッキリと、直接、母に伝える。
410問の振り返りの質問…。
質問そのものは、シンプルではあるが、しっかりと振り返り、言語化したことで、自分の過去が整理でき、今までより、自分は何者なのかが見えるようになってくる。
一番の収穫は、母親への気持ちを理解することができ、母に感謝を伝えることができたということ。
二つ目の収穫は、「自分は人に嫌われても大丈夫で、そんなことはまったく気にしない人間」と、長く考えていたことが、実は自分でふたをしていて、「嫌われたくなく、人目を気にする人間」だということに気づく。イヤだと思っていた部分を自分も持ち合わせているということ。
過去の振り返りによって、「自分はこういう人間なんだ!」と思っていたことは、実は、仮面をかぶっているだけで、本当の自分は…。ということが見えてくる。それが見えてくると、背伸びして自分が疲れるということも見えてくる。
恐怖症で悩んだのも、そのような考え方をしていたから、そうなったんだろうということも見えてくる。
過去の記憶は変えられないけど、過去の解釈は変えることができる!
知っているようで知らない自分。自分を知るには「過去の振り返り」。本当にそう思う。
最近のコメント